写真表現について

写真を撮り始めて、というか趣味にしてから半年くらい経った。

なかなか外に気軽に行ける感じでもないので撮る枚数は着実に減っているが、、、

 

2Bチャンネル(youtube写真チャンネル)の動画に登場していた方の話では「写真は受け手の解釈をあえて限定することができる点が写真にできることだ」と言っていてかなり関心した。

動画内では、仰向けになっている人に大きな柱が横たわっている写真が取り上げられていて、これを写真で撮ることで柱の重さを推測不可能にできるということらしい。実際軽い素材でできているので苦しいことはないのだが、もしこれを直接見ると呼吸で動いたり、人の表情などから得られる情報は多くなってしまう。それを写真で固定するということだそうだ。面白いし、瞬間を切り取ることができるからこそ成り立っている。

 

アートをやるならもはや写真である必要性ってなんだろう、とは誰もが考えることだと思う。多重露光で鮮やかに色彩の配置や濃淡を描き出すものも、別に他の手段があるわけで、何も写真に撮る必要があるのかわからない。

写真展や現代アートを見に行くと、すべては「解釈」に委ねられているようで、そこに作者の意図はあれどそれが明文化されていないこともしばしば。

そこにあるのはその解釈だけで、写真の本質とは一体何だろう?と混乱してしまう。

現代アートとしての写真とその他のスナップや風景写真では根本的な目的が違うので一口に語ることはとてもできないのだが、

つまり自分が言いたいことは、適当に撮った写真も後からの意味付けによって成り立ってしまうのではないか?ということ。というかそういうパターンも多いのだろうな、ということ。

tilmansなんかは同じテーマでサブジェクトを撮ったりしているが、好奇心が感じとられるし、最近買った野口里佳の『夜の星へ』なんかは偶然の産物なのに美しい。

アート、そして写真は難しいし、まだまだ自分の中でもまとまらない。

(書いたら頭の整理ができるかと思ったので書いてみた)