旅の途中で考えていたこと

2月の終わりから3月の頭に旅に出ていた。

途中で考えたことをばばっと書いたメモが残ってたので、そのまま載せてみる。

これは自分にとって3度目の海外経験だった。

 

 

旅をしていて、してから思うこと

 


自分探しの旅、なんて言葉があるけれど、それは大間違いだ。もちろん旅がきっかけになることもあるだろうけど、いつだって自分は自分にしかわからないし、自分は自分の中にいる。ハリーポッターと同じ列車に乗って車窓に映る自分を見つめてみたところで特別なものは見えてこない。向き合わなければ、変わらない。

旅先の文化の違いに感化されて考えをめぐらすことはよくあることだ。ここの人々の暮らしはどんなもんだ、ここに生まれていたらなにが起きただろう、今まで出会ってきた人を思い出す、など。

でも最後に思うことはいつも、そこにはただ小さくずっと流れる小川のように人々の営みが、少なくとも自分が故郷で送っていた日々と同じようにあるだけ、ということ。貧富の差や、知り合いの多さに違いはあれど、生まれた場所が故郷で、母国語はずっと日本語であり、ある人にとっては英語であり、そしてそれらは変わらない。

旅によって自分が見つかるというのは、きっと時間があるからだろう。1人で旅をするのは想像をはるかに超えるほど、孤独なものである。都市から都市へ移動するときも、憧れの場所で息をするときも、思いもよらない出会いの瞬間も、ずっと1人、ずっと頭の中で考えてる。

パブで友達を作ったとか、ドミトリーの異国人と仲良くなったとか、そういうことではない。

知らない国の知らない街に知ってる人がいないのは当たり前なんだ。

苦労しながら日々を送ることは刺激になるがその分疲れる。帰れる家がなければ心を休めることなどできやしないし。何かを求めて海を越えれば、その現実は少し辛く映ることもあるかもしれない。

だとしても、旅は自分たちの成長にとって素晴らしい。成長してるのか、成長に気付くだけなのかは分からないけれど、だからこそ、気にも留めない雪の平原が、16世紀の古民家が、街の外れの教会が、あんなにも美しい。

ここに生まれた人はどんな気持ちで、何をしてるんだろう。日本で生まれた僕は、どんな気持ちで、何をしてきたんだっけ。

 


自分探しの旅にならないのならば旅は何を見つけ、何を得られるんだろう。どうして旅に出たくなるんだろう。生まれ育った場所を離れ、外から見つめたくなるのは何故なんだろう。